今年の忘れもの その2
相変わらず神経病みで(笑)明け方目覚めてしかたない、ほりです。
仕方ないので、今朝は5時からレンジを大掃除して、今年最後のゴミ出しをしましたが ^^)」
あ、所帯くさい。音楽全く関係ない話続きます。
OZ紀行、続き~
***************************************************
7/22、早朝、起きたらPがいない。これはしょっちゅうなので慣れっこ。
"Where's Paul?" も聞き慣れた。"I don't know. Maybe..." も言い慣れた。憶測し慣れた(笑
遅く起きて朝食食べて車でみんなで、、、なんて段取りは全部スキップして、
← こんな早朝の道を、long walk して、Hillston の町へ出たに相違ない(カメラも持って出てるわけで ^^;)
連絡なしに、元々行く予定だった場所で待ってるはず。
案の定、Moore 夫妻と予定通りの時間に車で学校へ行くと駐車場の入り口で、当然のようにハイテンションで私らを迎えた。
アボリジニのイベントの日で、子供たちは顔をペイントしてもらい、君もしてもらえというのを必死で拒否し、体育館の中でアボリジニの踊りを見て、校庭でバーベキュー。その後、延々 P が生徒と喋ってるのに、Moore 夫妻は黙ってつきあってたが、いつも P のペースに抵抗しようとあがいてる私は、1人で校内散策。
いつも行方不明になられてばかりでもつまらんので、自分が行方不明になってみたれ、と、
校舎の裏の学校の壁の上にすわって、本でも読んでたら、あっさり P が見つけた。
行方不明になってくれたのが、むしろ嬉しそうにも見えたけど(ゲ。
Hillston 滞在中何度も行った Shed へ。P はあいかわらずステーキバーガー。
海外へ行くと、いきなりこの人は肉食になる。
箱庭みたいな町では、どこでも知り合いに会う。
← これ、この方の愛車。やっと数年前に車を諦めてこれに乗り換えたという。97歳。
白髪も美しく整い、シャキットした背中でルンルンと1人歩道を走りゆく姿に、お・み・そ・れ・し・ま・し・た m(_ _)m
この後、町一番の事業、cotton gin(綿工場)へ。
OZで一番新しい工場らしく、種をとって洗浄しパックするまで、1分50秒。心おきなく保管できる広~い土地。ふわふわのコットンが巨大な機械周りで舞い上がるのをガラス越しに見て。ロット管理のためのサンプル採取は手作業で、生温かいサンプルを分けてくれた。
この後、箱庭の町へ戻って、あちらの銀行、こちらの病院、と P の知り合いを訪ねる。
銀行では、43歳のキュートなレディに再会し、P は興奮。
「君と結婚したかったのに、あいにくまだ君は10歳だった」と(笑
病院では、モーガンさんという、P が毎日のように子供達と行ったアイスクリーム屋の店主を見舞う。
まだその店は休業中ながらそのままあって、売り渡したりはしていないので、
もしかしたらまた、アイスクリーム屋の栄華を取り戻すか、という。
車いすにすわっているけれど、表情はとても明るくて陽気で、
「日本ってあれ・・何て言うんだったけ・・あなたは大丈夫だった?」
と3月の津波のことを心配して聞いてくれた。
Hillston へ来て初めて、ここの男の人は大抵、去り際に、女性に頬ずりするんだなと思った。
モーガンさんのニコニコ顔で頬ずりされると、レディ扱いされたようですごく嬉しかった。
病院と言っても、養老院みたいだったし、元気なんだろうと勝手に思っていた。
モーガンさんの訃報を聞いたのは、この4ケ月後だった。
モーガンさんの頬ずりは、Hillston の大事な大事な思いでの一つになった。
帰宅後、スープで軽い夕食を頂いて、その後エレクトーンを囲んで音楽タイム。
その後、ビデオを見せてくれたが、気が付いたら、Moore 夫妻は部屋からいなくなって、
私も P もソファに座ったまま寝ていて、ストーブだけがこちらに向けられていた。
・・・部屋に返って爆眠。
OZ 七不思議のひとつ。泡の中でテキトーにばしゃばしゃやって「ゆすがない」@@)泡が残ってても気にしない!
渡豪前に P がビックリするなよ、と言ってたけど、本当でした。。。
***************************************
すっかり旅 blog の様相ですが(笑
やっぱり年内終われないよーー。年越しですが、もうちょっとなのできっと完成させますーー。
乞うご期待 ^^
それではみなさま、よいお年を~
仕方ないので、今朝は5時からレンジを大掃除して、今年最後のゴミ出しをしましたが ^^)」
あ、所帯くさい。音楽全く関係ない話続きます。
OZ紀行、続き~
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7/22、早朝、起きたらPがいない。これはしょっちゅうなので慣れっこ。
"Where's Paul?" も聞き慣れた。"I don't know. Maybe..." も言い慣れた。憶測し慣れた(笑
遅く起きて朝食食べて車でみんなで、、、なんて段取りは全部スキップして、
← こんな早朝の道を、long walk して、Hillston の町へ出たに相違ない(カメラも持って出てるわけで ^^;)
連絡なしに、元々行く予定だった場所で待ってるはず。
案の定、Moore 夫妻と予定通りの時間に車で学校へ行くと駐車場の入り口で、当然のようにハイテンションで私らを迎えた。
アボリジニのイベントの日で、子供たちは顔をペイントしてもらい、君もしてもらえというのを必死で拒否し、体育館の中でアボリジニの踊りを見て、校庭でバーベキュー。その後、延々 P が生徒と喋ってるのに、Moore 夫妻は黙ってつきあってたが、いつも P のペースに抵抗しようとあがいてる私は、1人で校内散策。
校舎の裏の学校の壁の上にすわって、本でも読んでたら、あっさり P が見つけた。
行方不明になってくれたのが、むしろ嬉しそうにも見えたけど(ゲ。
Hillston 滞在中何度も行った Shed へ。P はあいかわらずステーキバーガー。
海外へ行くと、いきなりこの人は肉食になる。
箱庭みたいな町では、どこでも知り合いに会う。
← これ、この方の愛車。やっと数年前に車を諦めてこれに乗り換えたという。97歳。
白髪も美しく整い、シャキットした背中でルンルンと1人歩道を走りゆく姿に、お・み・そ・れ・し・ま・し・た m(_ _)m
この後、町一番の事業、cotton gin(綿工場)へ。
OZで一番新しい工場らしく、種をとって洗浄しパックするまで、1分50秒。心おきなく保管できる広~い土地。ふわふわのコットンが巨大な機械周りで舞い上がるのをガラス越しに見て。ロット管理のためのサンプル採取は手作業で、生温かいサンプルを分けてくれた。
この後、箱庭の町へ戻って、あちらの銀行、こちらの病院、と P の知り合いを訪ねる。
銀行では、43歳のキュートなレディに再会し、P は興奮。
「君と結婚したかったのに、あいにくまだ君は10歳だった」と(笑
病院では、モーガンさんという、P が毎日のように子供達と行ったアイスクリーム屋の店主を見舞う。
まだその店は休業中ながらそのままあって、売り渡したりはしていないので、
もしかしたらまた、アイスクリーム屋の栄華を取り戻すか、という。
車いすにすわっているけれど、表情はとても明るくて陽気で、
「日本ってあれ・・何て言うんだったけ・・あなたは大丈夫だった?」
と3月の津波のことを心配して聞いてくれた。
Hillston へ来て初めて、ここの男の人は大抵、去り際に、女性に頬ずりするんだなと思った。
モーガンさんのニコニコ顔で頬ずりされると、レディ扱いされたようですごく嬉しかった。
病院と言っても、養老院みたいだったし、元気なんだろうと勝手に思っていた。
モーガンさんの訃報を聞いたのは、この4ケ月後だった。
モーガンさんの頬ずりは、Hillston の大事な大事な思いでの一つになった。
帰宅後、スープで軽い夕食を頂いて、その後エレクトーンを囲んで音楽タイム。
その後、ビデオを見せてくれたが、気が付いたら、Moore 夫妻は部屋からいなくなって、
私も P もソファに座ったまま寝ていて、ストーブだけがこちらに向けられていた。
・・・部屋に返って爆眠。
渡豪前に P がビックリするなよ、と言ってたけど、本当でした。。。
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すっかり旅 blog の様相ですが(笑
やっぱり年内終われないよーー。年越しですが、もうちょっとなのできっと完成させますーー。
乞うご期待 ^^
それではみなさま、よいお年を~
by noirworldwide
| 2011-12-30 18:13